マンガ家とイラストレーター【イラストと情報】 

皆さん、こんにちは!
ポスターカラー大好きイラストレーターのすずきかずたかです。


ポスターカラーで描いた作品

 

僕が絵を描くきっかけになった大御所のマンガ家の方々が言い尽くしている事ですが、イラストやマンガを描くという事は、既にある情報やアイデアを自分の頭やハートにインプットし、自分流に組み替えてアウトプットする事の繰り返しです。 

 

作品とは全てマネ

純粋な「創作」というものはこの世にあり得ません。
絵に限らず、文学や芸能など「古典」と呼ばれるものが今もお手本とされ、語り継がれているのは、そこに人間の作家としての普遍性があるからです。

 

好きな映画から学ぶ


イラストを描く事は情報の「再生産」です。
いろいろな情報をインプットし、アウトプットする為には、広い視野と柔軟な思考が必要です。
僕の大好きな赤塚不二夫さんや石ノ森章太郎さんは、暇さえあれば映画を観に行っていました。


赤塚不二夫さん

石ノ森章太郎さん

 

赤塚不二夫さんは、仕事(売れる前の話だから、マンガ以外の食うための仕事です)とマンガ(売れる前の話だから、仕事以外の描きためるための漫画も含みます)を描く以外の時間は全て映画を観ていました。


赤塚不二夫さん達が食事よりも優先した映画

 

お金がなくてもとにかくマンガと映画が最優先。
ご飯を食べるお金が無くなっても映画を観に行っていました。
これはもう、好きだからとか、そういう生易しい言葉で言い表せる行為ではないですね。
「本能」が食べる事よりも、映画を観る事を優先していたのですね。 

 また、石ノ森章太郎さんは、赤塚さんや藤子不二雄さんらよりも早く高校生時代から売れていて経済的に余裕があったので、赤塚さんは石ノ森さんによく映画を観に連れて行ってもらったようです。 

 

好きな先輩作家から学ぶ

 そして、人気のあるマンガ家がいれば、好き嫌いに関わらず、なぜウケているのか考えていました。
赤塚さんや石ノ森さんの時代で、誰からも目標にされていた人気マンガ家と言えば手塚治虫さんです。
赤塚さん達は、手塚治虫さんが支持を得ている事を素直に認め、素直に学んで自分の内面を充実させていく事が重要だと考えたのです。 


僕の尊敬する赤塚不二夫さん達の更に雲の上の存在・手塚治虫さん

 

 僕はイラストレーターでは鈴木英人さんとわたせせいぞうさんが好きです。


鈴木英人さんとその作品

わたせせいぞうさんとその作品

残念ながら鈴木英人さんにはまだお会いしたことがないのですが、わたせせいぞうさんのギャラリーには何度もお邪魔してスタッフの方に、わたせせいぞうさんの画法についてしつこいくらい質問しました。 


わたせせいぞうさんのギャラリー(以前は成城学園前にありましたが、現在は白金台にあります)

 

わたせさんご本人にもお会いしたことがあります。
僕は身の程知らずにも、いずれわたせせいぞうさんを抜く存在になろうと考えていたので、死んでもわたせせいぞうさんに「サインをください」などとは言わないぞ、と思っていました。
そしてわたせせいぞうさんとお会いした僕は、自分でも驚くくらい自然に身体が動き、わたせさんにサインをお願いしていました。 

その時僕はわたせさんに名刺を渡したのですが、僕の名刺には「イラストレーター」という肩書が書いてあります。
わたせせいぞうさんはその名刺を見て「どんな絵を描くの?」と訊いてくれました。
僕は名刺の裏に自分の作品を数点印刷してあったので、名刺を裏返して見て頂きました。
わたせさんはニコニコ笑いながら、僕の名刺を内ポケットにしまってくれました。 

 

手塚治虫さんも、赤塚不二夫さんや石ノ森章太郎さんが自宅に押し掛けた時、優しく接して心構えを教えたり、夕食に好きな店屋物をとってくれたり、ピアノまで弾いて聞かせてくれたそうです。
やはりその世界でトップと言われる方たちは人格的にも器が大きくて、大きな人達ほど人に優しく接する事ができるものなんだな、と思いました。 

 人間的に尊敬できる人から学ぶ

時代を超えて愛される作品を描く為には、ひたすら面白い小説を読み、面白い映画を観、面白い話を友達から聞く事です。
自分の好奇心に任せて外部からインプットするしかありません。 

 

それを続けているうちに、断片的なアイデアが固まってきます。
それを人にうまく伝えるには、やはりひたすら描くのみです。
過去の名作と言われる作品は、アイデアのヒントはくれますが、その作り方までは教えてくれません。
描くうちにいろいろな事がわかってきます。
描けば描くほど頭の中に方程式が出来、アイデアが出やすくなります。 

 

情報を集めたら自分で組み立てる

最初から方程式を求めてはいけません。
「〇〇の法則」などというタイトルの本をよく見かけますが、単純作業以外の仕事、特に絵や物語のようにアイデアがモノを言う仕事に関しては、出来上がった法則などというものはありません。
あるとすれば、それは自分で試行錯誤を繰り返して、自分で見つけた法則です。 

 

僕もAmazonなどで自分の描いた絵本などを販売していますが、良いお客さんはレビューを書いてくれます。
今までで一番うれしかったレビューは、小さなお嬢さんと買い物に行ったお母さんが、タブレットで僕の絵本(「べんりなぱそこん」という作品)を見せている間に買い物を済ませて、お嬢さんのいるベンチに戻ったらお嬢さんが1人でクスクス笑っていた、というものです。
その作品は人を笑わせる意図で描いたので、それは嬉しかったですし、その後の作品を描く上でも励みなりました。 


お母さんと小さなお嬢さんを笑顔にしてくれた僕の誇れる作品「べんりなぱそこん」

 

もちろん叱咤のご意見を頂く事もあるのですが、自分でも思い当たるご意見であれば、それは次回作へ活かせば良いと思います。 

ただ、中には心無い誹謗中傷だけを書いてくる人もいますが、それは読むに値しないでしょう。
ただの悪口を書いてくるような人は、そもそも自分の作品のファンにはなり得ないからです。
箸にも棒にもかからない作品なら別ですが、自分なりに努力して描いた作品であれば、最低限その程度の自信は持つべきだと思います。 

 

 

受ける作品には個性と一般性のどちらも大事

自信は更なるアイデアや、自分の絵における納得したタッチにつながります。
しかし、自信が強すぎてもいけません。
イラストやマンガはそれを見る人がいて成立するものです。
見た人が真摯に言ってくれている建設的な意見なら、僕はそれを取り入れる素直さは、自分の反省も込めて持っていた方が良いと思います。
そうでない作品はただの独りよがりになりがちです。
そうした考えは作風にも表れます。 

 

より多くの人に見てもらう作品には、個性も必要ですが、一般性も必要です。
あまりにも強い独りよがりは、結局人から見向きもされなくなり、結果的に自信を無くすことになります。
考え方や生き方は一旦わきに置いておいて、より多くの人から受け入れられる共通点を持った、ある意味では誰にでもわかりやすい「優しさ」が必要だと思います。 

 

自信と劣等感は相反するものですが、それをバランスよく持ち続ける事はイラストレーターとして大切です。
自分よりヘタだと思う作品を見つけて自信をつけるのは意味のない事です。 

 

売れている作家や作品には売れるだけの理由があります。
僕もイラストレーターのコミュニティに参加していますし、過去に別のコミュニティにもいくつか参加したことがあります。 

僕も人間ですから、嫌いな人はいます。
嫌いな人でも作品は素晴らしいものを描く人はいます。
でも僕はそこまで聖人君子ではないので、嫌いな人から学ぼうとは思いません。
もちろん学ぶ気持ちは持っていますが、同じ学ぶなら自分の好きな人、自分の尊敬できる人から学ぶ方が精神衛生上も、モチベーションを保つ意味でも良いと思います。 

この考えはあくまで僕の考えなので、嫌いな人からでも「それはそれ、これはこれ」と割り切って学べる性格の人は、その方がいろいろな意味で得をするのは間違いありません。 

 

自分が自信が強いタイプか、劣等感が強いタイプか見極める事も大事です。
(最初から自信満々という方は少ないと思いますが、僕のようにちょっと良い事があるとすぐに調子に乗ってしまう人もいるので、自分のタイプは冷静に見極めたいものです) 

自分が自信の強い性格だと感じたら周りの人の意見を聞き、その逆の性格だと思ったら、落ちこみそうになった時に自分の良いところ(過去の優秀な作品や、好きな人から得た評価など)を見なおす事は自分の性格のバランス、ひいては自分の作品のバランスを保つ上で大切な事だと思います。 

 

 まとめ

僕が尊敬し、僕が大好きだった赤塚不二夫さん、藤子不二雄さん、石ノ森章太郎さんらは、共通してこのような考えで活動をしてきました。
僕も、自分の性格や自分の作品のバランスを保つために、こうした「尊敬する」方たちの考え方、生き方を取り入れ、そしてもちろん情報を集め、自分の頭で組み立てていきたいと思っています。 

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